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        わが精神の駅

 
       無称駅     空海の居る駅

       A 駅      道元  弁栄 たちの駅

       B 駅      覚鑁  南方 たちの駅

       C 駅      プラトンやタオイストの駅 

       D 駅      ツアラトウストラやカラマーゾフの駅                   

       E 駅      テスト氏の駅  

       F 駅      井筒氏やシュタイナーたちの駅

G 駅      アトランティス



         見出し

                1,七つの駅の物語


                2、ウロウロ晩節


                3、この寂しさは


                4、漂流の民
                

                5.水晶宮に映るもの

                6、深みからほとばしるもの 

                7、随感 (市川和男のブログから) 







熊楠は、尊敬するライプニッツにならって、自分の流儀で

 「人類普遍の学」

を生み出そうとした。(中沢新一)

わたしには、うえの駅の人々は、すべてそうであったように思われる。 

  ☆ この『七つの駅の物語』の刻印を私の畢生の仕事としたい。    

                                               見出しに戻る

 

 

  空海も道元も華厳の思想を根っこに置いた思想の新たな展開である。

  南方マンダラも、また華厳思想の新たな次元での展開であり、氏は熊楠流《結合法>によって、

  「人類普遍の学」を構築したのである。

                                     (2007年9月23日執筆コーナー設定)

 ☆

は、1895年

「ダ・ヴィンチの方法論序説」を通じて、普遍精神における認識論乃至宇宙論を展開した。

そして、1896年

「テスト氏との一夜」において、普遍精神の倫理学ともいうべきものを書くに至った。

さかのぼれば、

宇宙を、直覚と意識の力によって構築した人物であるアラン・ポーにいつて、ヴァレリーは

「ぼくは、相変わらずあの巨匠から眼が離せない。 超自然的で、魔術的で、ぼくの感じでは、今世紀で

もっとも芸術的と思われる」と、ジイドに書き送っている。

                                    (2007年9月25日 覚書)

 

 

   以前、<市川和男のブログ>に、次のように書いたことがある。             見出しに戻る

 ☆ ウロウロ晩節 (2007年07月07日(土))

                    

 今夜は梅雨の七夕だ。

 雨の緑もいいものだ。

 だが、このところなぜか、何かに追われている気分だ。

 PC作業は、まったく思うに任せず、ぐるぐる回りだ。

 それでも、「Uのページ」の<邑風信ーC>に

 『テスト氏・考』追加記事を書き入れている。


 私のホームページづくりは、これまでの復習もあるが、その中には新

 しい開拓と発見もある。

 今、わたしの関心事は、この年ながら、やはり、おこがましくいえば

「普遍精神考究」の次元の書である。つまり、

 井筒俊彦の『意識の形而上学』と『意識と本質』『神秘哲学』

 滝沢克己の『純粋神人学拾序説』

 松井孝典の『コトの本質』と『宇宙誌』

 そして

 ヴァレリーの『テスト氏』と『カイエ』

 ポオの『ユリイカ』と『マルジナリア』

 スピノザの『エチカ』 等々ーー

 それにシュタイナーや南方熊楠たち

 これらは、何か、ちょっと風変わりな内的心象風景を感じさせる世界

 なのかも知れない。

 その間を、せかせかと振子のように行ったり来たりの日々。

 さらに、今の世の批判と、戦後昭和や日本中世の見直しやらー。

 そんな「時評」めいたことは「市川和男のブログ」にも、気が進めば

 書いている。

 

 自分が自分に課す課題が、この年になって、一層、のっぴきならない

 ようにやってくる。

 私は、今や「林住期」から「遊行期」に到ろうとする時期なのにー。

「悠々自適」がうらやましい。
 
                                        平成19年七夕   itikawa

 

                                                  見出しに戻る

  ☆

  この寂しさは

 どんなにしても、なにをしても

 地底から湧き出てくるような

 この寂しさは何だろう 

 不意に己を

 この寂しさが席巻する

 

 そんなとき

 自分には、もう何も、入ってこなくなる

 なにもかも、己を置き去りにして

 わたしのなかを空しく通り過ぎてゆく

 

 この寂しさが

 思う出を、歴史を、宇宙を食い尽くす

 わたしは

 すがりつくようにしても「白柏樹子」に至らねばならない

 

 今日が消え

 あすにも

 また今日が消えてゆく

                          

                                    (2007年9月16日・9月19日)

 

   ☆ 漂流の民

                                                       見出しに戻る

   「うつ」の時代について、山折哲雄氏は、2007年9月24日(今日)の新聞に、その背景を書いている。

   それは

   いま、身辺にただよいはじめている「うつ」や「不安障害」の背景を二つ揚げられている。

   そのひとつは、高齢化。氏は

   「人生80年時代には、引き伸ばされてしまった老・病・死を前にして、生き抜くための指針もモデルも

   われわれは手にしていない。そしてそこにこそ、「うつ」時代という不安の背景が色濃く映し出されている」

   ことを指摘されている。

   

   もうひとつは、殺意の堆積と拡散。

   その傾向に拍車をかけているのが、格差社会の肥大化であり、家族の多様化と解体だと、氏はいう。

   そして、

   「その殺意の昂進において、ひとは誰でも瞬間的に悪魔になる。

   殺意に身をまかせて《悪魔>になるか、

   それとも殺意を制御して<神>なるか、そのほとんど紙一重のせめぎ合いの中に心の深淵を映じだす

   ドラマが宿る。

   そのドラマをイマジネーションの世界で演じきることができないまま立ちすくむとき、われわれは観客席に

   身を沈めて<うつ>のうめき声をあげるほかなくなるのだろう。

   <神なき時代>の漂流民の運命である。

   人生八十年時代の高齢化人間が、まだその人生モデルを手にしていないように、この神なき時代の

   漂流民たちも、逆巻く眼前の大海原を前にして、いまだ自分たち自身の羅針盤を見出しかねている

   のではないだろうか。」

   と書いておられる。  ( 高知新聞「現論」 )  

   わたしは、これほど同感した文章に出会うのは、実に久しぶりだった。

   確かに「ウロウロ晩節」そして「この寂しさは」に潜むのは、漂流の民の心境だと思う。

   この不気味な深淵がのぞく海に、定めなく漂う小さな木の葉のいようだ。

   そんな時、そっと、タオイストの加島祥三造氏の生き様が浮かんでくるのだ。  

                                           (2007年9月26日)

 


 ☆ 水晶宮に映るもの

                                                      見出しに戻る

 自分の晩年である今、わたしは、瞬く星のような神秘主義に篭城している。

 ただそれだけのことだ。

 神秘主義の水晶宮に籠っている―。

 そこから見える風景は、わが内に若き日より宿る先哲たちの精神の姿だ。

 つまり精神の駅に居る、

 空海であり、道元であり、ニーチェであり、ドストエフスキーであり、ヴァレリーらの光芒である。

 そこに何か、風が立つ、得も知れない何かの――。

                                 (2007年10月17日未明の夢境にて)

  

 ☆ 深みからほとばしるもの

                                                  見出しに戻る

    弁栄の光明に在って、わたしは法然の源流からほとばしる西行の浄土行を見る。

    浄土行としての共生の思想を体現する道。

    その道は

    弁栄の光明主義を行ずることに通じている。

    ここに提唱されている「光明主義」とは、超在一神的汎神教だといわれる。

    それは

    超実在にまで、一神教的に高まる汎神論とでもいうべきものであると私は思っている。

    

 

    「衆生の信念なるものは全く如来の光明を実現すべき個々の機能なり。

    光明は唯一にして法界に周遍し之を実現すべき機能は無量無辺なり」

                          (山崎弁栄『光明の生活』より)

                                             (2007年10月27日)

 

 今、再び、

 岡潔『日本のこころ』  唐木順三『良寛』

 新しく

 粕谷一希『反時代的思索者』ー唐木順三とその周辺

 が、座右の書である。

 ここには、汲んでも汲んでも尽きることのないものがある。

 わが精神の駅に、加えなくてはならない。

 わたしの道しるべは、いつまでも、身近くは、やはり、

 岡潔であり、唐木順三だ。

 この二人は、ともあれ、透徹する直感の世界に住んでいた。

 振幅度の大きい、深い、精神時空である。

 共に、得難い、醇乎たる隠者の風格そのものであった。

 

 岡潔は、モーツアルトやショパンのような直感の色合いと調べを持っていた。

 唐木順三は、近代から中世に至る深層への回帰力・透徹力があった。

 歴史を超える魂の振り子が、この二人の身に備わっていた。

 常に詩心の泉を宿した瑞々しい哲人たちであった。

 歴史を越え、隠者のように歩んでいった彼ら。

 彼らの、奥の細道。

 それは私の憧憬する「こころの道」でもある。

                                    (2007年11月14日 市川 和男)


  ★ 随感 

              (市川和男のブログから)

              今日、2007年12月31日に、この稿を入れる。 

               2008年から、随時、書き加えるつもり。                      

                                   
      

  

                                                    見出しに戻る

  魂の遡行ー2 [随感]  2007年12月30日(日)

 一説によれば、いまや、「哲学的世代の終結」だという。

 それを象徴するのが、J・デリタの死である。

 デリタは、「希望のヨーロッパ」という講演で語りかける。

 <新しいインターナショナル>とは、苦悩、希望を介して結ばれた絆をはじめとして、

 反時代的な絆、公にされることのない絆、国民共同体と無縁の絆、

 ひとつの階級に帰属しない絆、など、十の絆。

 そして、シャロンとブッシュの政策を批判することのできるヨーロッパに「ウイ」、

 自爆テロや反ユダヤ主義プロパンダを承認しないヨーロッパに「ウイ」など、

七つの「ウイ」をもつヨーロッパに、ウイを与える。

 そして、その講演でデリタは言う。

「ー来るべき世界でヨーロッパが堅守してゆくべきその代替不能な役割に向けて、

そして単一市場や単一通貨、ネオナショナリズムの巣窟、新軍事勢力を超えたものへと

ヨーロッパが生成していくために、我々は闘ってゆかねばならないのです」と。


 さかのぼってデリタは、プラトンの思想の中には、キリスト教に繋がり得る側面と、

そうでない側面の二つがあることを指摘している。

 それはプラトンの中期作品『国家』における「善」と、

 後期に属する作品『ティマイオス』での「場」の関係である。

 『国家』における「善と正義」はいわばバランスだ。 

 『ティマイオス』でいう「場所(コーラー)」は特異な意味を持つ。

 

 それはキリスト教的な存在論ではない。還元不可能的な他者だ。

 それには、キリスト教的な思想のような <汝への語りかけ> もないと、デリタは言う。


 ところで、西洋哲学史は、いわば、プラトン哲学の訳注であったともいわれるが、

しかし、その哲学の思想潮流が終わりをを迎えたという。

 果たしてそうなのか。

 哲学は終結したか、哲学の終焉を私たちは迎えたか。

 では、東洋哲学はどうなのか。

 就中、東洋思想は今世紀的な評価を得ているのではないのか。

 道元にデリタが強い同質感を抱いたように、プラトンという源泉には東洋思想との水脈が底流に、

まだ瑞々しくあるのではないか。

 人類の偉大な思想の原点には必ず共通項がある。

 その思想の誕生は、洋の東西を問わず、「対話」のかたちで、その姿を現している。



     ---------------- --------------------



 プラトンも『国家』のなかで、ソクラテスの対話を書く。


 冒頭部分に出るのが、ケパロスだ。

 「彼はずいぶん年寄りに見えた。そういえば、この人にぼくは久しく会っていなかったのだ。

 彼は頭に冠をつけた姿で、ふとんつきの椅子とでもいったようなものに腰を下ろしていた。(中略)

 ぼくたちは彼のそばに行って、腰を下ろした。そこには椅子がいくつか、円形並べて置かれてあったのでね。

 ケパロスはぼくを見るなり、ようこそと挨拶して言った。ー」

 という具合に始まる。



 そして対話が展開するが、その中でケパロスは次のように言う。

 「いいかね、ソクラテス、−−人は、やがいぇ自分が死ななければねらぬと思うようになると、

以前は何でもなかったようなこ事柄について、恐れや気づかいが心に忍び込んでくる。

 たとえばハデス(冥界)のことについて言われている物語ー

 この世で不正を犯した者はあの世で罰を受けなければならないといった物語なども、

それまでは笑ってすませていたのに、いまや、もしかして本当ではないかと彼の魂をさいなむのだ。

 そして彼自身、老年の弱さがそうさせるのか、それとも、すでにあの世に近づいているので、

ハデス(冥界)のことが前よりよく見えるからでもあろうか、とにかく疑惑と恐れに満たされるようになり、

これまで誰かに不正をしたことがあったかどうか、あれこれ数え上げ、調べてみるようになる。(中略)

 けれども、わが身をかえりみて何ひとつ不正を犯した覚えのない者には、

つねに楽しくよき希望があって <老いの身を養って> くれる。

 ピンダロスも言っているようににね。

ソクラテス、彼はいみじくもこううたっているではないか。

      

               正しく敬虔に生涯を送った者はー

               甘い希望が その人に付き添って

               心をかぐくみ 老いの身を養う

               その希望こそ 何にもまして人の子の

               気まぐれな想いをみちびくもの


 うむ、まことにもてすばらしい言葉だ。(後略)」

 そのためにケパロスはお金の所有は大いに役立つことを言う。

 「私としては、ソクラテス、このことのためにこそ富は、理をわきまえる者にとって最大の効用をもつ、

と言いたい」(第一巻)と。






 

 『国家』の終章(第十巻)においてプラトンは、第一巻のケプロスの不安な老年の心境に

静かに答えるかのように、ソクラテスに語らしめる。

 それは、「エルの物語」だ。

 アルメニオスの子、エルは戦争で死んだ。

 死んでから十二日目に野辺送りの火の薪の上に横たわれていたとき、

生き返った。そしてあの世で見てきたさまざまの事柄を語る。

 彼の魂は、身体を離れた後、他の多くの魂とともに道を進んで行って、

やがて、ある霊妙不可思議ば場所に到達するのである。

 あの世での、かずかずの光景やいろいろな情景をつまびらかに報告しているが、

この「あの世からの報告者・エル」は、そのなかで、いろいろの生涯の見本を受けとった上で、

高い壇に登って言ったという神官の言葉を伝える。

 「命はかなき魂たちよ、ここに死すべき族(やから)がたどる死に終わるべき、いまひとたびの周期が始まる。

 運命を導くダイモーン(神霊)が、汝らを籤で引き立てるのではない。

 汝ら自身が、みずからののダイモーンを選ぶべきである。(中略)

 徳は何ものにも支配されぬ。それを尊ぶか、ないがしろにするかによって、人はそれぞれ徳をより多く、

あるいは少なく、自分のものにするであろう。

 責は選ぶ側にある。神にはいかなる責もない」


 ソクラテスは、それを受けて

 「もっぱら魂の本姓のことに目を向けながら、魂がより不正になるような方向へ導く生涯を、

より悪い生涯と呼び、より正しくなるような方向へ導く生涯を、より善い生涯と呼んで、

より善い生涯とより悪い生涯との<あいだ>に選択を行うことができるようになるだろう。 (中略)

 そのような選択こそは、生きている者にとっても、死んでからのちにも、

最も優れた選択にほかならないのであるから。

 かくて人は、金剛のごとく堅固にこの考えをいだいてハデス(冥界)へ赴かねばならぬ。 (中略)

 できるかぎり現在のこの生涯においても、またこれから来るべきどの生涯においても、

そうした外的条件に関しては、つねに中庸の生活を選び、どちらかの方向に度を越えた生活を

避けることを知るためにーー。

 なぜならば、人間がそのようにしてこそ、最も幸福になれるのだから」

と語りかける。



 魂は、うしろをふりむくこともなく旅路をすすんでゆく。

 <忘却の(レーテー)の野>という炎熱の道を通り過ぎ、やがて、

 <放念(アメレース)の河>のほとりにたどり着く。

 すべての魂はその河の水を飲まなければならなかった。

 それぞけの者は、飲んだとたんに一切のことを忘れてしまうのだ。

 そして、次の言葉がある。


 「ーやがて真夜中になると、雷鳴がとどろき、大地が揺らいだ。

  と、その場から突如としてそれぞれの者は、あたかも流星が 飛んで行くように、

  かなたこなたへと新たな誕生のために、上方高く運び去られて行った」

 この言葉は、自分にとって、母の死の際感じた、そのままのことで、今なお強く実感される。

 

 それはそうと、エル自身は、どこをどのように通り、どうしてもとの肉体のなかに帰ったのかはわからなかった。

 ただ、不意に、目を開くと自分が明け方、火葬のための薪の上に横たわっているのに気づいた。


 ソクラテスは、この対話の最後を次の言葉で締めくくる。

 「このようにして、グラウコンよ、物語は救われたのであり、滅びはしなかったのだ。

 もし、われわれがこの物語を信じるならば、それはまた、われわれを救うことになるだろう。

 そしてわれわれは、<忘却の河>をつつがなく渡って、魂を汚さずにすむことになるだろ。

 しかしまた、もしわれわれが、ぼくの言うところに従って、魂は不死なるものであり、ありとあらゆる悪をも、

 善をも、堪えうるものであることを信ずるならば、われわれはつねに向上の道をはずれることなく、

 あらゆる努力をつくして正義と思慮とにいそしむことにらるだろう。

 そうすることによって、この世に留まっているあいだも、

 また競技の勝利者が数々の贈り物をあつめてまわるように、

 われわれが正義の褒賞を受け取る時が来てからも、われわれは自分自身とも神々とも、

 親しい友であることができるだろう。

 そしてこの世においても、われわれが物語った、かの千年の旅路においても、

 われわれは幸せであることができるだろう」

 と言って、この物語を閉じる。

 

 本書の訳者・藤沢令夫は、訳者注で、

 「物語は滅び去った」とは、物語の架空性を言う定型的な結びの言葉であるが、プラトンは、

  自分の物語は真実を告げるものであるという意味で、逆に「物語は救われた」と結ぶ」

 と、記されている。


 エルのミュートスと哲人当事者の問題は、今にして、ひときわ関心の深まるものであり、

 考察に参ずべき今日的な課題だと思う。




       

        去年今年 貫く刃 明けの空

        透明へ ボタンの雪の 大晦日




 

 魂の遡行−1 [随感]  2007 年12月20日(木)

 「現在性」から、如何にして未来を望見できるのか。

 これまで、例えば、場の思想から、共創の思想から、そして、地球惑

星の視座から、また、今世紀的神学から、それぞれのアングルで、清水

博氏、石川光光男氏、松井孝典氏、イヴァン・イリイチ氏たちの、現在

性に関する言葉を勝手にピックアップさせていただき、、我流に考察し

てきた。


 「現在性」という闇に射す光りを各氏は示されている。

 が、ここで、もうひとつの角度から、その光明を探ってみたい。


 例えばこうだ。

 1980年代から徐々に濃厚となる「死=不在の世界という状況」

(イリイチ)に黙して留まるか。

 それとも、わたしたちはどのようにして、そこから脱するのか。

 この問いを自分自身に課してみたいのだ。

 「歴史を重く孕んだ場所、しかしまだ時間の中から、神秘的で新鮮な  水に手を伸ばすことのできる場所」(ケイリー)

を,わたしたちは保ちたいと思うのである。


 イリイチは、生きる「思想」「意味」「希望」を語りかける。

 そして、最善の堕落は最悪だという。

 その地点が現在である。

 そこには、人々に「未来」などない、あるのは「希望」だけだと。

 しかし、今、如何に抑制されていようとも「希望」こそが、唯一、現

代世界の闇に灯る明かりであることをイリイチは遺言した。



 わたしは、ここで「死=不在の世界」と「魂の不死の思想」を対峙さ

せて考えたいと思う。


 それは「現在性」という、地球と人類にとって史上最大のクライシス

な状況を、世紀前の哲学から照射するとどうなるのか、ということだ。


 その一つの視座となるのが、古代ギリシャのアテネに学園アカデミー

(前388/7年)を創設したプラトンが、その10年後の前375年

あたりに著述した『国家』論である。


 それは、プラトンが、ソクラテスを通じて語らしめる思索の結晶した

不朽の哲学書であるが、そこに展開される思想的示唆をたよりに、今と

いう中での「希望」の、ほの明かりを探ってみたいと思うのである。

 

 





コトの「場」と合わせ「鏡」 [随感]   2007年11月16日(金)
  

       一切の存在のうちに存在しつつ

       しかも一切の存在と異なったものであり

       一切の存在はそれを知らないけれども

       一切の存在が そのものの身体であり

       内部にあって一切の存在を支配するもの

       それがあなたのアートマンであり

       内部にあって支配する者であり

       不死なるのもである。

  (『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャット』中村元訳より)



  このウパニシャット哲学の「梵我一如」思想

  私には「宇自一如」の直感

  万物と人間が、その深層部で交差し一体化した時空観


  ここにあるもの、その復活。

  それは、市場経済至上主義の近代化のなかで失われたが、

  いま、これからにとって、最も大切なものではないのか。


  「場」の研究所長・清水博 東京大学名誉教授は

   ”共生思想の可能性を探る”という公開シンポジュウムにおいて

   <「共生」思想への期待>と題する基調講演をされている。


  それは、上記ウパニシャットの自然観・生命観・人間観について

  わたしたちが身近に感得でき、その深い複雑系の了解される、美しい交響曲のようであった。

  その視点から拡がる、存在の新しく蘇える時空。

   

  以下、それを勝手ながら、不器用な変奏曲となる失礼を詫び

  わたしなりに要約・アレンジさせていただきたい。




    コトの場と合わせ鏡

  生きているモノの内側にある空間

  その空間という「場」には

  様々な生命現象が万華鏡のように

  現われては消え、それを繰り返している


  この「場」は、そこに居る人たちの「心」に映る

  人々のこころには、それを映している「鏡」がある

  心に鏡が宿っている


  地上には諸々の生き物がいて

  お互いに、お互いが、それぞれ異なる鏡で

  地球という私たちの居場所を映している


  生き物たちの心を映す鏡が存在している

  生き物たちと「場」とは、

  合わせ鏡にようにお互いを映し合う


  

  その鏡に映ずるイメージを統合すると

  いのちの星の全体が見えてくる


  地球という緑の海で

  緑が生まれては統合されながら

  ひとつの方向に向っていく生命現象

  それが

  「共存在の深化」という生命のドラマだ


  このドラマに参加して生きるコトが、

  それぞれの生命と

  居場所としての地球の生命という

  「二重生命」を齎せるのだ。  

  





  林住の画家・一村 [随感]  2007年11月02日(金)

    

 田中一村も、魂の林を住処とした数少ない孤高の人だと思う。

 天与の画才を授かりながら、むしろそれゆえに、あえて身を切るよう 

 な孤高のなかで、秀逸な作品をつくるだけに生き死んだ。

 創造意欲が湧きいずる隠棲の場が、一村にとっては、

 瑞瑞しい精神の林立する最果ての孤島であった。

 一村が終いの仕事場に選んだ奄美の島々。

 その一角に、東洋の真珠と呼ばれ、美しいサンゴ礁に囲まれた与論島

 がある。

 まずそこを訪れた昭和33年の暮れに、一村は川村幾三氏宛に手紙を

 書いている。

 

 「夜は十二時。ところは南海の孤島。夜風の身に沁むも忘れて、隙見

 するは流浪の画家の私。さながら泉鏡花の小説の一章のようです」

                


 一村の絵のモチーフが島々をめぐる日々に書き溜められていた。

 その「写生帖」には画家の目の、数々の句も印されていた。

 

  砂白く 潮は青く 百合香る

  砂白く 潮は青く 千鳥啼く

  白砂の丘 千鳥たわむれ あざみ咲く

  残月に パパイヤ黒し 筬の音

  鬼へごは 老椎よりも 丈高し

  小春日を 小夏と聞けり 奄美島

  梅花なし 桃花またなし 島の春

  鶯も ソテツを侶とす奄美島

  黄に赤に もみじ葉散りつ 桜咲く

  若葉見えず 杜鵑聞かず 鰹食う


  銀河見ゆ フクロウ聞こゆ ねむの花

  宝島 白あじさいの 乱れ咲く

  白砂の丘 白馬いななく 白あざみ

  千鳥なく サギは降り立つ 牛の背に

  花は緑 燃ゆる緋の葉よ 名はクロトン

  風強し 波は届くか 残月に

  熱砂の浜 アダンの写生 吾一人 

  雛鳩を懐き

  眠れず ミミズクを聴く

  病鳩を懐き

  眠らず ミミズクを聴く  


 一村が、南海の海と島の溶け合った光景をどのように見ていたのか、

 絵を見るようである。


  

 一村には、まるで自伝のような手紙がある。

 それは昭和30余年3月、中島義貞氏宛のものである。


 「私は23歳のとき、自分の将来行くべき画道をはっきり自覚し、そ

 の本道と信ずる絵をかいて支持する皆様に見せましたところ、一人の

 賛成者もなく、その当時の支持者と全部絶縁し、アルバイトによって

 家族、病人を養うことになりました。そのときの作品の一つが、水辺

 にメダカと枯れハスとフキノトウの図です。

 

  今はこの絵をほめる人もだいぶありますが、そのときせっかく芽ば

 えた真実の絵の芽を涙を飲んで自ら踏みにじりました」


 「その後、真実の芽はついに出ず、それが最近6か年の苦闘によって

 再び芽吹き、昨年の秋ごろから、私の軌道もはっきりしてきました。

 その苦しい生活に、姉でなくてだれがついてこられるでしょうか。私

 は絵描きとして大成功しているのです。

  この軌道を進むことは、絶対に素人の趣味なんかに妥協せず、自

 分の良心が満足するまで、練り抜くことです」

 

 「今、私の全神経は、絵に向かっています。さわられても、叩かれた

 ように響きます。実に楽しく絵を書いています。絵が楽しくなると反

 対に、私の言動は狂人に近くなります。

  オランダのゴッホも、フランスのセザンヌも、執筆中の夏目漱石も

 、画室における横山大観先生も、狂人同様であったことを想起してく

 ださい」


 「今、私がこの南の島に来ているには、歓呼の声に送られてきてい

 るのでもなければ人生修行や絵の勉強に来ているのでもありません。

  私の絵かきとしての、生涯の最後を飾る絵をかくためにきている

 ことが、はっきりしました」



  ここに、想起されるのは、弟テオに当てたゴッホの手紙であり、

 また

 「わたしたちはどこからきたのか、わたしたちはなにものか、わたし

  たちはどこへゆくのか」を描いたゴーギャンのタヒチだ。

  

  緋桜に 雷とどろき あられ降る

  鶯も 見白も宿る緋桜に



 画道を自分の頂点に結実させるのが、一村の誓願であったであろう。


 あるとき一村は、こう言ったという。

 「絵かきは、絵をかくときに、血圧が上がるのは当たり前のことで 

  す。血圧が上がるようでないと、いい絵はかけません」

 「私はバカになりたい。

  正気であるうちは、正気の絵しかかけません」

  

       

        林住の画家に (土佐路から)

         一村や しぐれまじわる 夕明かり      






共生・共死の場 [随感]  2007年10月30日(火)
   

山折哲雄・国際日本文化センター教授は、 次のように言う。

「(前略)共生論のなかで一番欠けているものがある。それについては

 あまり指摘されないが、共生の思想というのは「共死」の思想の裏付

 けがないとダメだ、ということ。

 共に生きるだけではダメなんだ、そこは共に死ぬところでもあるとい

 うことです。

 

 死ぬ場所が、我々の都市じゃないかという視点だ大切です。

 不思議なことに共生、共生と、どこの自治体に行っても叫ばれるけど

 共死を問題として出す人はほとんどいない。これは一番の問題だと思

 います(後略)」(アジアがつくる共生の思想)と語られている。


 つまり、昔から言う「墳墓の地」として、わが住む里に生きるいう、

 共生のあり方だ。そこは決して汚してはならない場なのだ。

 そこに生きて、死んでゆくという、運命共同体的生き様。

 そこにこそ、真の慈愛が相互に産まれよう。

 そのような郷土愛で結ばれた「共生・共死という場」でなくてはなら

 ないだろう。

 もともと共生とは派手なものでない。

 古臭かろうが、それが正しい「共生」の在り方だと私は思う。


 ここで「頭をめぐらせば」、

 農山村の自治体は、集落が形成して来た。

 集落には、総代を村民が選んで自主的に集落行事を運営してきた。

 そこには意識するとしないにかかわらず「墳墓の地」という住民感覚

 があった。

 それがいつしか、集落の「総代」という名称が消え、「地区長」とな

 った。それに拍車をかけたのは主に市町村合併であった。

 総代というのは、その集落の事に関係する全部の人の代表者、総名代

 という意味があった。

 が、「地区」となると、特定の行政目的のためなどに指定された区域

 であって、一区画の単位に過ぎなくなる。

 その「地区長」というのは、以前の「総代」とは言葉の意味において

 異なる。「名は体をあらわす」式に言えば本質的に違うものだ。

 もっと言えば、住民を管理しやすくする行政区画の行政連絡員に過ぎ

 なくなってしまう危惧がある。

 そこには、次第に「墳墓の地」という歴史的風土性は薄れてゆく。


 本来、集落とは歴史的にトータルなものだった。自治・自律の能力と

 そのための機能を具有する総合的な有機体、複合性を持つ生命多面体

 であった。

 そのような「共生・共死の場」の根っこを蝕む近代化という流れの中

 で、薄っぺらな経済空間としての集落に転落してゆく、そんな不安感

 をぬぐえないのが現実だ。

 この現実を正視し、「安住の地」への行路を探らねばならない。


 やわらかく言えば格差、きつく言えば転落と繁栄という現象の本質。

 その根本が、もっと鋭く問われなくてなならない。

 経済格差や地域格差、貧富の格差という問題解決と同時に、その次元

 をも超えて、ひとしく生死の根源にまで触れてゆかねばならない問題

 である。

 ここにきて、21世紀の軌道修正を目指す「経世済民の学」の必要が

 痛感されるのである。

 

 






林住期−3 樹下の風信 [随感]  2007年10月27日(土)



 わが内なる林の中に吹いてくるもの



   ☆ 法然(1133〜1212)の「念仏・浄土」行


   ☆ 道元(1200〜1253)の「放下・脱落」行


   ☆ 一遍(1239〜1289)の「捨聖」行

  さけばさきちるはおのれと散る花のことわりこそ身は成りにけり 

                     一遍の「自受用三昧」境  



   ☆ 西行の浄土行としての歌道


   ☆ 良寛の「騰々任天真」の行


   私にとって、良寛の決定打は次の歌だ。

 つきて見よひふみよいむなやここのとをとを納めてまたはじまるを


 歌人上田三四二氏は

『この世この生』のなかで次のように書いている。


「七、八と来たものが九、十で終わる。

 しかし終わりはまた始まりなのだ。十と納めたものがまた一から出直

 なおすとき、その一はもとの十とどういう関係にあるのだろうか。

 十から一への連続は、九から十への連続と違うのだろうか。

 違うとすれば、そこに何が起こっているのだろうか。

 疑問はまた雲のようにむらがるが、疑問に悩むよりはまず毬つきに

 興じて見ることだ。

 すると、この「また」は、容易に跳び越えられるであろう。

 連続に何の支障もなく、回帰は完全なのである。

 良寛の一首の歌は、争告げてりる」と。


 この視線と言葉は、私のこれまでを貫通してきた。

 不思議な水晶宮のように透明で透徹して止まない。

 十から、また一に回帰するとき、そこに総てが凝縮する。

 一即一切の華厳の時空なのではないのか。

 「つきて見よ」

 内なる林の中に、それは遠く、また近く、不断に繰り返している。 






「林住期について」―2 [随感]  2007年10月24日(水)

二千年も前からインド人が抱いていた人生観に

「四住期」というのがある。

 その第一は「学生期」で学びの時期。

   

 その第二は「家長期」で家庭営みの時期。

 その第三が「林住期」という開放・自由の時期だが、

        やがて家庭に落ち着くようになる。

 その第四が「遊行・遁世期」で、ここに至る人は少なく、

       もう家庭には戻らないという、聖の道。

 一般には晩年を「林住期」として、その時期での生き方を考えるが、

 日々、しきりに生死への思いを巡らす、そんな時期でもある。

 

 西行の晩年は、この「林住期」であっても、限りなく「遊行期」に

 近かったのではないか。




    嵯峨に住みけるに、たはぶれ歌とて人々よみけるを

 

    第八首


石なごの玉の落ちくるほどなさに過ぐる月日は変りやはする 西行


この歌を、高橋英夫氏は

  

「投げ上げた石なごの玉は、あっという間に上から落ちてくる。その速さ、短さ。過ぎ去っていった月日の速さ、短さ、これもそれと少しも変わらないのだーー」

 西行は子供の遊びの中に、永遠と瞬間、無地間と時間という世界と人間の構造を見出したのであり、この明視が晩年の静かな熟成をおのずと物語っているのは、誰にも疑いが無いだろう。

とコメントしている。

 そして、

(西行)晩年の味わいにおいて一番傑れているのはやはり子供の遊びをうたった<たわぶれ歌>である。

と、高橋氏は言う。そして晩年が、と続いて

 もし晩年が<たわぶれ歌>のようなものだけから成っていたなら、

それは年輪と共に身についた澄明な境地の純一境と見てよく、われわれは事もなくそれを嘆賞すればすんだだろう。

 だがそうはならなかった。西行は晩年になっても、さまざまな傾向への広がりを解消させないのだ。

 澄明な世界をかきみだすものも、静寂な心境から再び昂ぶり燃えるものも出現するのをやめない。


 このように、氏は評し西行の内面を描く。

 氏の神経の行き届く名文は、さらに格調高く続く。


 西行は確かに「無」を見ている。

 がしかしそれは、風景として明鏡止水である以上に、

 心境としては欣求浄土の浄土そのものではないか。

 西行の内なる「心」はふかく揺るがされている。

 「無」が「浄土」と一致していることに感動している。


 氏は、そのような浄土行の視界から、次の歌を見るのだ。


   願はくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ


 氏は書いている。


 きさらぎ望月の頃、桜が咲き匂っている情景は美しい。

 しかし美しいのと同時に言いがたく透徹して感じられる情景である。

 そのさなかには、あるいはその情景の底には、荘厳された死がある。

 存在を消滅させ、おのれを「無」に化する死がある。しかも死は咲き匂う桜花、散りしく桜花の一片として、その中に紛れ込んでもいる。

 「無」と「美」―あえて「美」といってみよう―とは一致しているのである。これは、朝凪の中をこぎ去ってゆく舟の跡の消滅と、湖面一面から漂い出ている清浄・透明の気との一致に等しい。

 ここにも「無」は「美」に溶け込み、「美」は「無」に帰着しているといっていいからである。


 このように高橋氏の、余りにも、透徹して止むことのない文章ゆえ、少し長く引用させていただいた。

 そのときだ、ふと、私は唐突ながらランボーの詩を、想起した。

 <「無」は「美」に溶け込み>と引用した途端である。

 無謀だろうが

 西行の「桜」がランボーの「太陽」であってもいいと−−。

 遠くに霞む日に焦げ付いたまま、離れない「永遠」という詩

 

    また見付かった。

    何がだ?、 永遠。

    去(い)ってしまった海のことさあ

    太陽もろとも去(い)ってしまった。

                   (中原中也訳・1872年)

 それはともかく、

 このように詠った、願う死し様。

 それを、高橋秀夫氏は

「八百年たっても西行の死は人のこころを打つものがる。

 それはこうありたい死の元型なのだ」

という。


 そして氏の透徹する視線は、「一種の華厳的象徴主義」に注がれる。


 西行が若き日の明恵と会って語ったとされる言葉、

 つまり西行の歌論を見るのである。

 西行は明恵に向って、次のように語り、説いたといわれる。


「花、郭公、月、雪、すべて感興を覚えるものに相対したときでも、

 万物はみな虚妄なのである」

「花を詠んでもまことに花とは思わないし、

 時を詠じてもまことに月とは思っていない」

「詠じた和歌はすべて真言なのである」


 ここに明恵の、万物悉く如来の顕現とする華厳的世界観と西行の云われたという

「我又此の虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どると云えども、更に証跡なし。

 此の歌即ち是如来の真の形体也、去れば一首読み出でては、1体の仏像を造る思いをなし、

一句を思い続けては秘密の真言を唱ふるに同じ」

との言葉に象徴される、西行の歌論は、明恵の信仰と相互に感応しながら完全に一致する。

 これを高橋氏は

 「西行の象徴主義は、「心」の象徴主義とでもいえよう。(中略)

 <心>は、

 歌と「法」の一致という最期の時を見届けなければならない−

 そんなふうに言ってもいいかもしれない。」

 さらに氏はこういわれる。

「西行の<虚空>や<虚妄>が芭蕉にとって秘められた詩的源泉であったと思われる。」と−−

 引用させていただいた高橋英夫著『西行』(岩波新書・1933年)の<あとがき>には次のようにあった。


西行はさまざまな場所にいる、というふうに私は感じた。

文学史と精神史の交差点にも西行はいた。

「隠栖」と「美」の交差点、「聖」と「俗」の交差点にもいた。


また、

西行を書き、西行の側から芭蕉を書くことだった。この本のきっかけは

そこにあったといえよう。


と、このように書いておられる。


あの日、

”林に住んで、野に出でて、”と言った私たちの心に、氏の言葉は、どこまでも、凛として深く心に沁み込んでくる

のである。

 


 





  G 駅  アトランティス

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  「宇宙・精神の巨視的史観」


---- シュタイナーの宇宙史観と人類精神史観から-----




 アトランティスの物語



 それは、次のように伝えられている。



  (シュタイナーの『アーカーシャ年代記より』などから)




 アトランティス大陸は、今の大西洋にあった。


 この大陸は、北アフリカと西南アジアを一つにしたよりも大きかった。


 そこに浮かんでいた巨大な島のまわりを、いくつもの島々が取り囲んでいた。



 アトランティスの王はエジプト、アテネまで支配していた。



 この大陸の大気は濃い霧に満たされていた。


 だから、太陽や月や星々をはっきりと見ることはできなかった。



 この霧の国の空気は現在よりも濃く、水はいまよりずっと稀薄だった。  



 アトランティス時代のはじめは、人間の身体は柔軟でもっと透明な感じだった。

 また、切り落とされた手足などを発生させることもできた。



 彼らは意志が非常に強く、意志の力で植物などの生長を早めたりすることもできた。

 植物の生長力をエネルギーとして交通機関を動かすこともできた。

 そして彼らは、自然の生命力を統御することができた。



 人々は、岩や木々の枝を組み合わせた住居で暮らしていた。 



 アトランティス人は自然の行ったことや、人間の行ったことを記憶していた。

 そのような祖先の記憶が子孫の記憶力の中に伝えられていた。


 夢の意識のなかで、祖先の記憶が再現されたのである。



 そのかわり、まだ論理的思考や知性は持っていなかった。



 アトランティス初期には、まだ明瞭な言語はなかったが、

 彼らは自然の言語を理解する能力を持っていた。 





「−−将来さまざまな状況の下で行動するときに、できるだけ多くを思い出すことができるように、

子供は人生をいきいきしたイメージで見せられた。−−

非常に長い時間を通じて、物事は同じ仕方で処理された。


過去を忠実に記憶していたので、今日の急速な進歩にわずかでも似たものは何も生じなかった。


人々は常に前に<見た>ことを行った。何かを考えるということはなかった。

人々は、思い出すだけであった」    (シュタイナー『アーカーシャ年代記より』から)





 アトランティス島には恐るべき国家があり、地中海世界を侵略しヨーロッパを支配していた。

 そんななか、ギリシャ人は団結してアトランティスのその恐怖国家と戦い、エジプトを含めた諸国をその脅威から守った。




 その太古のアテナイとアトランティスの伝説が、次のようにプラトン『テイマイオス』で紹介されている。


「しかし、やがて異常な地震と大洪水が起こり、過酷な一昼夜が訪れアテナイ勢の戦死全員が大地に呑み込まれ、

アトランティス島も同様に海の中に消えていった。


それ故、その場所の海は島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている」





『テイマイオスで』の対話は、次に宇宙論へ向かう。


が、プラトンは、最後の著作『クリスティアス』で、

再びアテナイとアトランティスの物語をクリティアスに再び披露させている。




 それは、9.000年以上前のことだ。



 アテナイ市民は私有財産を持たず、多くの階層に分かれて暮らしていた。



 土地は広い台地で肥沃であり、約二万人の軍勢を養うことができた。



 (しかし、やがて、そこには大洪水が起こり多くの森が失われ湖が枯れ荒涼とした姿になってしまった)




 アトランティス島の南の海岸に小高い丘があり、それを取り囲む三重の掘りがつくられて、

 この地を、アクロポリス(高所の都市)とするアトランティスのメトロポリス(首都)が造られた。



 アクロポリスのあった中央の島には、どんなに大きな船も泊まれる三つの港があった。


 その港は環状海水路に面した外側に陸地に設けられていた。




 環状水路や運河はすべて石塀になっていて、

 水路の入り口には櫓と門がたてられ石塀は様々な石材で飾られていた。

 中央の島、内側の環状島、外側の島々に造られた石塀はオレイカルコス(オリハルコン)、錫、銅の板で飾られていた。




 環状水路には岩石を天井にした二つのドックがあり軍艦がひしめいていた。




 中央島のアクロポリスに王宮があって、クレイトとポセイドンを祀る神殿が黄金の柵で囲まれていた。




 プラトンは『クリティアス』で、次のとうり述べている。


 「今はただ名のみになっているが、当時は実際に採掘されたオレイカルコスの類は、

 そのころ、金に次ぐ非常に貴重な金属であって島内のいたるところに分布していた」



 「アクロポリスをじかに囲む石塀には炎のように燦然と輝くオレイカルコスを被せた」



 「内側の天井には一面に象牙をかぶせ、金や銀やオレイカルコスの飾り付けをして変化をもたせるとともに、

 その他、壁や柱や床にはびっしりとオレイカルコスを敷きつめていた」



 「碑文として初代の王たちの手でオレイカルコスの柱に刻まれたのであるが、

 この柱は島の中央のポセイドンの社に安置されていた」


                                   ( プラトン全集12 岩波書店)





 このアクロポリスには、冷泉や温泉、

 そして<ポセイドンの果樹園>と呼ばれる庭園、屋外プール、屋内浴場などがあった。



 内外の環状島にも、神殿、庭園、運動場があり、

 外側の環状島には戦車競技場も設けられていた。



 港と市街地には世界各地から船舶や商人たちが集まり、昼夜を分かたず賑わっていた。 



 アトランティス島は、生活必要物資のほとんどを自給できる島であった。



 地下資源(オレイカルコスなどの)、野生動物、家畜、飼料、も豊かにあり、

 ハーブなどの香料植物、葡萄、穀類、野菜、果実など、自然の恵みが多かった。



 平地には、広大な長方形の大広原を海面から聳える山々が取り囲んでいた。


 山地には、原住民の村々があり、放牧地が広がっていた。



 この広大な平野と周囲の山地を支配していたのは、

 アトラスの王国の血統を継ぐ国王であったが、平原は長方形に整備され、

 また山地から流れる谷の水を大運河に導かれ、横断する水路は碁盤状に掘られていた。



 それで運河によって、農作物は年二度の収穫ができ、また材木や季節の産物の輸送もできた。



 平原は6万の地区に分割されていた。



 軍備は、全体で一万台の戦車、12万頭の戦車用の馬、12万人の騎手、12万の重装備歩兵、

 12万人の歩兵、12万の投石兵、12万人の投槍兵、1200隻の軍船、24万人の水兵であった。



 他の九つの王国では、これとは異なる軍備体制が敷かれていた。



 アトランティスの支配者たちは、

 原住民との交配を繰り返すうちに神性が薄まり堕落していった、という。




 それを目にしたゼウスは罰を下そうとした。




 「(ゼウスは)すべての神々を、自分たちがもっとも尊敬する住まい、即ち全宇宙の中心に位置し、

 生成に関わるすべてのものを見下ろす所(オリュンポス山)に招集し、集まるとこう仰った。ーー」





 ここで、プラトンは擱筆している。


 『クリティアス』におけるアトランティスの物語は途切れている。

 だから余計に強く、この言おうとしたことの重さを、私たちは感じるのだ。





 





  宇宙史観・人類精神史観について

 


シュタイナーは、


宇宙そのものが輪廻し発展する過程であり、

人間の輪廻転生もそれに重なるが、この過程を七つの状態として捉えた。




アトランティス時代になって、地上に降りてきた心魂はその時点で輪廻転生を開始する。



その心魂は、長く宇宙に滞在した分だけ新鮮な宇宙の霊智を蓄えたのだという。



その過程は、土星紀、太陽紀、月紀、地球紀、木星紀、金星紀、ウルカヌス星という進化状態である。







先ず土星進化期

人間はトローネ(座天使 意志の神霊)から物質的身体の基盤を得て、

昏睡意識・全体意識を体験した。



次に太陽進化期


人間は(力天使 叡智の神霊)からエーテル体(精神界と物質界の仲介者)を得て、

睡眠意識を体験した。




続いて月進化期


人間はデュナメイス(主天使 動くの神霊)からアストラル体

(人間の心 霊的光体 エーテル体の構築者)を得て、

夢像意識を体験した。



そして地球進化期


ここにおいて人間はエクスシアイ

(能天使 形態の神霊 光を地球に注ぐ太陽存在。月進化期から地球への移行を引き起こした存在)

を通して個我を得て、覚醒意識・対象意識を体験する。





シュタイナーは新約聖書「ルカ福音書」の記述の中で、

4章がエーテル体、8章が物質的身体に関連して記述しているという。




木星進化期


人間は精神的自己(心魂的意識)を得る。



金星進化期


ここでは生命的精神(超心魂的意識)を得る。




ウルカヌス進化期


この段階で精神的人間(精神的意識)を得ることになる。





また、より小さな期間、例えば地球紀の内部の諸時期について見れば、

太古のアトランティスの生活を終末に導いた圧倒的な破局以来、

人類の進化の内部で、ポスト・アトランティス時代が来る。

それが7つの文化期として出現する。



 1,古インド期



 2,古ペルシャ期、



 3,エジプト・カルデァ期、

     人間は、内的な、ある意味では超感覚的な知識によって直接手に入れることが出来た。


     事物を知覚すると、魂の中に必要な概念、形象が浮かび上がった。


     魂の深みから非感覚的な事象や本性たちの認識が立ち現れた。 

     人間の魂の在り方、すべての能力は、

       エジプト・カルデァ期から次のギリシャ・ラテン期への移行の過程で変化した。



 4,ギリシャ・ラテン期


     次第に、このような能力を持たない人たちがますます多くなっていった。


     その代わりに事物についての合理的な思索が生じた。


     人々は、霊的・魂的な世界を直接夢のように知覚することが出来なくなり、


        知性と感情を通して、世界についての形象を作り上げることをますます頼みとするようになった。

     この状態は、アトランティス第4期の全体を通じて継続された。



     この時期は、ほぼ紀元前8世紀に始まった。

     そして最後の三分の一が終わる頃、キリストの事件が生じた。

     このような諸状態が続いて

     第5の、今人類が立っている時期(現代)に至る。


  5,第五文化期

     この第5時期は、西暦4世紀・5世紀から準備され、


    12世紀・13世紀・ 14世紀の頃から徐々に始まった。

    15世紀になると、まったく、はっきりした形態を示すようになる。




    15世紀以来、新しい修行が始まった。この修行を通して、


    人々は、みずからの霊視・霊魂・霊的合一を開発し、

    存在界の高次の領域(高次元多様体)に参入することが出来た。





    第5文化期には、霊的・魂的な世界との、この断絶の代償として、


    太古の叡智の、特にキリストの行為についての、魂を震撼させられる諸伝承が残されたが、    

    それらの内容のもつ力によって、魂たちは高次の諸世界を知り、そして信じることができた。


    新たに始まった第5文化期の本質は、知性の力がさらに発達して、


    見事な花を開かせ、そして現代から未来に向けて、さらに開花し続けることにある。


   このことは12世紀、13世紀からゆっくり準備され、

16世紀から現代に至るまで、ますますテンポを速めていった。



    その結果、第5文化期の人々は、知性の力をますます大切に育てようとしたが、


   その一方で昔から大切にされてきた力を失っていった。







 概略以上のように


 シュタイナーは、宇宙の進化と人類の進化の関わりについて概観している。





 宇宙と人間の渾然とした流れ


 その来し方と行方へを俯瞰すると


 インド文化期は、BC・7227〜5067年



 ペルシャ文化期、BC・5067〜2907年



 エジプト・カルデア期、BC・2907〜747年


 ギリシャ・ラテン期、BC・747〜AD・1413年




 第5文化期(ゲルマン文化期)、1413〜3573年


 第6文化期(ロシア文化期)、3573〜5733年




 第7文化期(アメリカ文化期、5733〜7893年




                 (西川隆範『シュタイナー用語辞典』参照)







 人間精神の「これまで」と「これから」について、シュタイナーは次のように総括的の述べている。





「第三文化期、つまりエジプト・カルデア文化(前625)年が、

人類の進化のためにもたらしたものは、ある仕方で第五文化期に繰り返される。


第三文化期の魂は超感覚的な世界の諸事象を直接知覚できた。しかしその知覚は消えつつあった」




「第五文化期になると、第三文化期において、

 薄明るい意識で直感していた超感覚的な諸事象が再び開示されるようになるが、

 その諸事象は今やに人々の知性なのか、個人感情の力に浸透され、

 そしてまた、キリストの秘密の認識に浸透されて現れる」




「第四文化期は、まったく新しいものを生み出し、それを人下の魂に植え込んだ。 


 第五文化期には、このように第三文化期が再び甦る。


 同じことは、第六文化期と第二文化期、第七文化期と第一の古インド文化期との間にも生じるであろう。


 古インド武Bか期の偉大な教師たちが告知したすばらしい叡智のすべてが、第七文化期の人間の魂の生活内容となって再び現れるであろう」


「第七文化期が終わる頃、地球の状況が根本的に変化するであろう。

 その変化はアトランティス期から後アトランティス期への過程で生じた大変動にも匹敵するものとなろう。


 そして、その後に生じる新しい地球は再び七つの時期を辿って進化して行くであろう。

 その時期に受肉する人間の魂は、

 アトランティス人が低次の段階で体験した霊界との共同生活を、より高次の段階で体験するであろう」




「後アトランティス期におけるギリシャ・ラテン文化期や、

 それに続く第五、第六、第七文化期を経験した魂だけが、

 新たに形成された地球状況に適応していくことができる」




「後アトランティス期の第五文化期から第六文化期への移行に際して、

 超感覚的な認識内容に、知性の力と感情の力を浸透された魂だけが、

 次の大変動後の状況に適応できるであろう」




「そのような仕方で、時代は進化していく。

 超感覚的な立場から観察すると、地球だけでなく、周囲の諸天体も共に変化していく」




「人間は独立した<自我>を<形態霊>を通して受け取る。

 この自我は、今後、未来において地球紀の間に<叡智>に組み込まれるべきもうひとつの<働き>を通して、

 地球紀、木星紀、金星紀、ヴハカン星紀の諸存在と調和して行くであろう。


 そのような<働き>とは、愛の力のことである。


 地球紀の人間こそが、愛の力を初めて行使しなければならない。


 それによって<叡智の宇宙>は、愛の宇宙>にまで進化を遂げなければならない」




「すべての叡智は、地球の感覚世界の諸力として、外なる<自然力>として開示される。 

 そのような未来においては、愛そのものが、すべての現象の中に新しい自然力となって開示されるであろう」

                               (シュタイナー「宇宙の進化と人類の進化との現在と未来」より)






 このような宇宙史観と人類史的内奥観が、明確に示されたことはなかったと思う。



 今、地球の存在そのものが危機的状況下にあるとき、超感覚的なこの視座は貴重であり、



 私たちにとって、大切な多くの示唆に富むものだ。









  シュタイナーによる巨視的な【宇宙・人間精神の史観】


 シュタイナーによれば、人間は地球のある以前に存在しており、地球は人間と共に進化したのだ、という。




 現代科学でいう名称の意味とはまったく異なるが、地球が「地球」なる以前、

 それは


 「月」であり、その前は「太陽」であり、さらに以前は「土星」であった。




 これらは、人間の天体としての「土星」「太陽」「月」である。



 土星意識   

       明度は最も低い。まったく暗い。

       最も低次な意識状態。

       深いトランス状態。



 太陽意識

       現在の人間生活の深い、夢のない睡眠において

       人間はかつて太陽上で持っていたのと類似した意識になる。

       




 土星の状態は、直ちに太陽の段階へと移ってゆくのではない。

 土星進化と太陽進化の間 

 また同様に人間の棲息する天体の、その後の諸形態相互の間には、


 二つの日の間の夜や、

 完全な草木に発育する以前の植物の種子の

 睡眠のような状態にも比較し得る、中間的状態が存在する。



   


    生命が外部的に展開される状態==マンヴァンタラ(宇宙の顕現期)



    中間の休息状態==プララヤ(宇宙の顕現と顕現の間の不可視状態)



          −−宇宙の眠り、だがそこに高次の活発な活動がある状態







 シュタイナーは人間精神(心魂)の歴史を、このように巨視的に見ている。



 つまり、七つの惑星に滞留していた心魂が、七つの人種になったのだ、という。





 アトランティス時代


 第三紀(〜第4紀)に相当する期間。



 ルモアハル、トラヴィトリ、原トルテク、原トラウン、原セム、原アッカド、原モンゴルの七人種期からなる。



 アトランティス時代は、レムリア時代の第七人種期に発生して、第七文化期から発展


していった。



 レムリア時代の第七文化期は今から25900年前であった。



 人間は喉頭形成のために、レムリア大陸から西方ののアトランティス大陸に移動しなくてはならなかった。



 トランティス大陸はヨーロッパ、アフリカ、アメリカの間にあり、大気は濃い霧を含んでいた。



 アトランティス初期、人間は自然の言語を理解し、分節化した言語はなかった。



 アトランティス初期の人間は肉眼には見えず、末期になって初めて今日の人間と似た姿になった。



 アトランティス人は昼間は対象物を心魂的に見て、夜は、それらに心魂を与えている神霊を見た。



 彼らは、起きているときは動物に似ていたが、夜は美しい人間の頭が現れた。




 アトランティス中期になると、人間は水から離れて陸に移った。



 アトランティス人は、超感覚的世界と交流しており、神という概念を形成することはなかった。



アトランティス人の意識はイメージ意識であった。




 アトランティス時代のはじめ、個我は人間の外にあり、物質的身体は柔らかく透明だった。



 アトランティス後期に、エーテル体が物質的身体の中に入ってきた。




 個我意識の発達は、原セム人期において為された。




 原セム人から、東方への移動が始まった。




アトランティス大陸は、BC8000〜6000年に洪水、氷、水による破局を迎え水没した。





 第一人種はルモアハル人




 アトランティス時代になって地上に降りてきた心魂はその時点で輪廻転生を開始する。


 そして、長く宇宙に滞在していただけ、新鮮な宇宙の霊智を蓄えていた。



 アトランティス人は自然を基として築き上げたものを共有財産と考えていた。



 彼らはレムリア人と呼ばれている。




 レムリア時代



 中生代(三畳紀・ジュラ紀・白亜紀)・古生代(カンブリア紀〜)に相当する時代。



 レムリア大陸は赤道にあって、レムリア時代の進化の舞台であった。



 この時代、人体の正しい発展の条件がなかった。



 レムリア時代の地球は蒸気・水状で、火の元素が流れていた。



 レムレア人は虫類・両生類の姿で、頭は前方に開かれており、火の雲が湧き出ていた。


 形態は魚・鳥のようであり、水状の地球を泳ぎ漂うように動いていた。



 動物・植物はゼリー状の固さで、人間・動物は植物の乳液を食料としていた。



                      (西川隆紀『シュタイナー用語辞典』)




 レムリア時代末期、



 人間は言語を有するようになり、自分と外界の事物との結びつきを獲得した。



 


 


 アトランティス初期、



 人間が獲得した言語は、言霊を有していた。



 言葉は病気を癒し、植物を生長させた。



無垢な魂のルモアハル人は、言語の力を乱用することはなかった。


 


 言葉を神聖なものとして、畏怖の感情を持って接した。


 






 第二人種 トラヴァトリ人



 彼らには、自分の行為を人から評価してもらいたいという名誉欲が芽生えていた。



 そして偉大な行為をした死者への追憶が生まれた。



 そこから祖先崇拝が始まった。



 大きな業績を果たした者を王者として社会集団が形成されていった。





 第三人種 トルラクト人



 こうした社会集団がトルラクトの国家として発展し、国家の統治権は親から子へと受け継がれる世襲制が始まっていった。



「その教育の作用は。教育者から発する個人的な力に基づいていた。教育者は理解力ではなく、むしろ本能的な才能を鋭敏化した。このような教育システムをとおして、多くの場合、父の能力が実際に息子に移行したのである」




「アトランティス時代に、秘儀を伝授された王や民族の指導者が現れた。強大な権力が彼らの手中にあった。かれらはに向けられた尊敬も大きかった。けれどもこの事実のなかに、衰退と堕落の原因もあった。記憶力の形成によって個人が強大な権力を有するようになっていった。             (中略)


 名誉欲ははっきりした利己心になった。こうして権力が乱用されるようになった。アトランティス人が生命力を支配できたことを考えるならば、このような権力の乱用が恐ろしい結果を招いたことが理解できるであろう」


                         (『アーカーシャ年代記より』)







 第四人種、原ツラント人



 利己的になった彼らは、自分の欲望のために相手を妨害し破壊するように生命力の乱用を始めていった。





  第五人種 原セム人



 このような傾向に歯止めをかけ、回避する方向を彼らは試み始めた。その試みとは、人間の高次元の魂の力を育成することであった。


 それは、思考の力であり、論理的な思考によって判断力が育ち、よくぼうは制御されるようになった。


 だが、彼らは論理的な思考を得ると同時に、生命史支配力を失った。


 この第五人種がアトランティアス大陸の崩壊後も生き延びて、アトランティス後の文明を築いていく。






 第六人種 原アッカド人


 


 彼らはこの思考力をさらに発展させるが、功利的思考や策略・冒険を好むようになる。





 第七人種 原モンゴル人



 彼らも思考力を発展させるが、



 「彼らは思い出に対して忠実であった。

そして一番正しいものが一番賢明なものであり、思考力が自らを守るものであるという確信に達した」


                          (『アーカーシャ年代記より』)




          −−−−−−−−−−−−−−





 わたしの古いノートのなかに、「シュタイナーノート」がある。

 やはり『アーカーシャ年代記』によるものだ。



 何年前かわからないが、そのときなりに要約して書き込んでいる。



 重複するが、

「アトランティスの世界とシュタイナーの宇宙・人間史観」

について綴るこの際、ここに敢えて、ここに記しておきたい。




 それは先ず、序の抜粋から始まっている。



「すべて時間のなかに存在することになるものは、しかし、永遠なるものにその起源を持つ。とはいえ、永遠なるものは感覚では近づきがたいものである」


という視座の確認をして、以下抜粋要約を試みている。




 レミリア人



       記憶能力は初歩的、それも発展の最後の段階に現れた。


       彼らは、自ら表象したことを直ちに忘れたが、本能的な精神力があり、


       読心術が伝達手段だった。



       そして洞穴に住んでいた。






 アトランティス人




    最初の亜人種 ルモアハルス亜人種



        記憶力は第一に生き生きとした感覚印象へと向けられた。


        目で見た色彩、耳で聞いた音響は、魂の内に永く残存効果を残した。


        それにより彼らは感情を発達させた。


        想起能力を持つ人間のみが、ある事物に対して付与された名称を使いこなすことが出来た。


        ルモアハルス人の魂の力は、現代人以上に自然力が備わっていた。


        彼らの言葉は意味のみならず、力(言葉の魔術的な力)をもっていた。





               


    第二亜人種 トラヴァトリ民族


        


        自分個人の価値を感じ始める。


        名誉心という--資質--が芽生える。


        ある種の「王位制」が発達した。


        死者への追想が発展し、宗教的尊崇・祖先崇拝が出現した。


        個性への考察を深め、社会集団が形成されていった。





  


    第三亜人種 トルテク人




       社会的共同生活が十分に発達して、国家形成の最初の形態が確立された。


       共同体の指揮権、統治権の血縁継承が為された。




             個人体験の重要性→繁栄する共同体、




            個的能力→秘儀参入→アトランティスの王たちや指導者、



                   個人の強権→利己心への転化 

                          →自然を利する広範な力→個人の利己主義の望むがまま、


       


      このような発達経路をトルテク人は辿った。









    第四亜人種 原ツラント人




       利己的な欲望や欲求を満たすために、諸力の制御(自然を制する力)を用いた。






  


    第五亜人種 原セム人




       論理的思惟の起源。


       人間は、「計算すること」を、「関係づけること」を始め、思惟的活動をするようになった。


       この思惟によって人間は単なる過発達去への追想を超えて、相違する諸経験を比較し始めた。


       判断力が発達して、欲求や欲望は制御された。


       ある内なる超えに耳を傾け始めた。

       この内なる声は、利己的な個性を打ち壊すことはできないものの、欲望・要求を制御できるようになった。


       このように第五亜人種は、行動への動機を人間の内面へと移した。


       生命力の制御を犠牲にして思惟をさせた。

       とはいえ、

       この民族が人類のさらなる発展の萌芽を生み出したのは、まさにそのことを通じてであった。








    第六亜人種 アッカド人




       第五亜人種以上に思惟能力を発達させた。


       この能力を、あるより包括的な形で用いた。


       単なる欲望や欲求に、賢明さがとってかわる。


       以前には記憶に残るものが決定的であったが、今や思惟にとって最も納得のいくものが最良とされた。


       しかし思惟能力の結果、様々な革新や愛好心が芽生えてきた。


       不穏な諸状況が広がり始め、案出された諸法規によって秩序と調和をもたらさねばならなかった。

       それゆえ、司法や法律の起源は、この第六亜人種の内に求められねばならない。


       思惟の計画能力は、新しいもの自体を求めた。それは人を企てへと、新たな建設へと駆り立てた。


       アッカド人は、それゆえに植民地化傾向のある進取的人間だった。


       芽生えつつある思惟と判断力を殊に助長したのは通商だった。


     


       


             




    第七亜人種 モンゴル人




       思惟能力はさらに発達した。


       記憶による感情に忠実なままになった。


       古いものが賢明なものであるとの確信に到達した。


       生命への力を失っていたが、生命力に対する純真な信心を失うことは決してなかった。


       この力は、彼らの神となり、その命ずるままに彼らは正しいと考えたことは何でも行った。



       アジアやヨーロッパの所々に見られる彼らの後裔は、この特質を多く今でも示している。       



       

       

               −−−−−−−−−−−−−−−−







 アトランティス後の七つの時代における諸文化




●最初の太古のインド文化(第一文化期)



 アトランティスの洪水の後に救助されたさまざまな民族が、太古のインドに集まった。


 そこに生きていた人々は、まだ、霊的世界に対する深い憧憬を持っていた。


 彼らにとっては、霊的な世界のみが真実であって、努力するに値するものであった。


 その彼らは高次の日々に浸透されていた。



 彼らにおいては、外的なものは、幻影ではなく、神的−霊的なものの表現であり、

外的 なものの背後には、人間に隠されたものが安らいでいる。



 ゾロアスター(トロイア戦争の5000年前の人物で、ソロモン系のイエスの中に受身した菩薩)は

外界を神の衣として、感覚的なものの中に精神を見出すために活動した。







●次の太古のペルシャ文化期(第二文化期)

 


 すでに別の精神が活動していた。


 この太古のペルシャ民族を知る者は、この民族と太古のインドの民族を正確に区別することが出来た。







●エジプト・アッシリア・バビロニア文化期(第三文化期)



 人間はさらに物質界へのつながりを見出した。


 そこで、天空の星の文字の中に神々の叡智が埋め込まれているのを見た。








●ギリィシャ・ローマ文化期(第四文化期期)



 この時代に、人間界を完全に物質界に降ろす。


 そして霊的世界の理解は、人間から失われ、


 「われわれはどこからきたのか」をまったく忘れるまでになった。




 「影の日の王であるよりも、むしろ地上で乞食でありたい」(アキレス)


 この言葉が、そのことを示している。


 ギリシャの彫刻とローマ市民の文化もまた、そのことを示している。

  (シュタイナー『レムリア時代』講義から要約抜粋・市川)

      

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   ルドルフ・シュタイナーという精神の奇跡とその存在の軌跡


 1861年クラリエエヴェック(ハンガリー、現在クロアチア)で誕生した。

 十六歳でカント『純粋理性批判』を読む。

 十八歳当時、フィヒテの知識学に没頭。

 二十一歳、『ゲーテの自然科学論文』編集に入る。

 二十五歳、『ゲーテ的世界観の認識論要項』出版。

 二十八歳、初めてニーチェの著作を読み始める。『善悪の彼岸』から。

 三十歳、哲学博士号を取る。

     博士論文「認識論の基礎問題−特にフィヒテの知識学を考慮して」

     同年『自由の学校』を書き始めた。

 三十三歳、ニーチェの著作研究の没頭する。

 三十四歳、『フリードリヒ・ニーチェ−反時代的闘士』の出版。


 三十六歳、『ゲーテの世界観』を出版。

 三十九歳、神智学文庫で連続講義する。テーマは「近代精神生活の黎明期の神秘主義」

      同年、『十九世紀の世界観と人生観』出版。


 四十歳、 神智学文庫で「神秘的事実としてのキリスト教と古代の密議」連続講義する。

 四十一歳、神智学協会の会員となる。ドイツ支部事務総長に就任する。

 

 四十三歳、『神智学』の出版。「アーカーシャ年代記より」連載始める。


 四十五歳 「神智学の門前にて」を連続講義する。


 四十六歳、「薔薇十字会の神智学」を連続講義する。


 四十七歳、「ヨハネ福音書」続いて「ヨハネ黙示録」を連続講義する。

      

      次には、  

      「宇宙・地球・人間」の連続講義。

      「エジプトの神話と密議」の連続講義。

      「精神科学的人間学」の連続講義。  


 四十八歳、弥勒菩薩について発言を始める。同時に、

      「神霊存在の物質界における反映」を連続講義している。


 四十九歳、『神秘学概論』を出版する。

      「大宇宙と小宇宙」連続講義。

      「カルマの開示」連続講義。

      

      「民族心魂の使命」連続講義。 

      「創世記の秘密」連続講義。

      「マタイ福音書」連続講義。

     

      「秘められた歴史」連続講義。

 五十歳、 「宇宙の奇跡・心魂の試練・精神の開示」連続講義。

      「イエスからキリストへ」連続講義。

      「宇宙進化の真相」連続講義。

      「感覚界と精神界」連続講義。


 五十一歳、「天体と自然界の中の神霊存在」連続講義。

      「神秘学・神智学・哲学の光の中の人間」連続講義。

      「秘儀参入・永遠と瞬間・霊の光と生の闇」連続講義。

      「マルコ福音書」連続講義。

     

      「宇宙的事実との関連における死と再誕の間の生」連続講義。

      アントロポゾフィー(人智学)教会設立。

      『魂の暦』を出版する。

 五十二歳、「東洋の密議とキリストの密議」連続講義。

      「境域の秘密」連続講義。

      「第五福音書」各地で講義。

 

 五十三歳、「人間の思考と宇宙の思考」連続講義。


      「死と再誕の間の人間の内的本姓」連続講義。

      

      『哲学の謎』第一巻出版。

       ゲーテアヌムの天井画を描く。


 五十五歳、 『人間の謎』を出版。



 五十六歳、 『心魂の謎』を出版。

       社会有機体三文節のアイデア提起。

        社会は、経済・国家(政治)・文化の三文節で成り立っている。

        経済は、友愛。政治は、平等。文化は、自由。

        それをを、それぞれが原理として活動する。

        シュタイナーの歴史観である七つの人類文化期のうち、

        現在を含む第五文化期に天使との共生を通して自由な精神生活が達成される。

        そして第六文化期に大天使との共生を通して平等な政治が実現される。 

        さらに第七文化期においては、

        アルカイとの共生を通して経済における友愛が達成される。


        天使とは個人個人に付きそう守護神のこと

        守護神とは、アルカイの使いのこと

        アルカイとは権天使のこと


       人体三文節のアイデア着想。

        

        人体は、神経、感覚系、律動系、四肢、新陳代謝の三文節





 五十八歳、 社会有機体三文節による社会活動を始める。

       そこには、次の基本的な観点がある。

       労働者の人間としての尊厳を保つため労働を経済から切り離して、

       労働力を商品化しない。

       そして土地は自然から借りているものだから、価格はない。

        

       これは当時受け入れられず徒労に終わり、その社会活動は敵対視された。 

       

       『社会問題の核心』出版。  

 

 

  五十九歳、医学講座を行う。

       ヴァルドルフ学校、第九学年の新設。

       ゲーテアヌムのオープン。

       人智学に対して、主に協会やドイツ国家人民党からの批判続出。

       

 

  六十歳、臨床治療研究所を開設する。

      「高次世界の現実」の連続講義。

      経済学講座行う。

      キリスト者共同体設立。



 六十一歳、 体調不良あり。

      「地球の呼吸過程としての季節と四季の祭」の連続講義を行う。

       

      「季節を共体験する四つの宇宙的イマジネーション」の連続講義を行う。

      「創造・造形・形成する宇宙言語に共鳴する人間」の連続講義を行う。

      「超感覚的人間−人智学的把握」の連続講義を行う。

       

      「秘儀参入の認識」連続講義。「密議の形成」連続講義。

      「人智学に照らした世界史」連続講義。

      普遍アントロポゾフィー協会設立会議。


 

 六十三歳、毒を盛られる。一命取り留める。体調は悪化する。

      「中世の秘儀の地」を連続講義する。

      「人智学−21年の総括」の連続講義。

       農業講座を行う。

      治療教育講座を行う。

      「秘儀参入者の意識」連続講義する。

       演劇講座を行う。

     

       講義中断、病床に付く。


  六十四歳、共著『精神科学的認識による医療拡張の基礎』の校正を終える。


       同年、没する。


  精神の巨星、宇宙に還る。

      

       

      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

       



シュタイナーの福音書解釈の講演

   1908年 『ヨハネ伝』

   1909年『ヨハネ伝』 『ルカ伝』

   1910年『マタイ伝』

   1912年 『マルコ伝』 


 シュタイナーの一連の連続講演の中で、これはバーゼルにおいて1912年9月に行わ

 ている。シュタイナーの思想的転回の時期に当たるもので、記念碑的な講演だといわれ

るものだ。

 (この『マルコ伝』の原著は、1918年にベルリンで出版されたが、 市村温司氏の訳の底本は、1976年の改訂版と記されている)



 これは、わたしのこれまで長年にわたり抱えてきた関心の角度によって、『マルコ

伝』で示されている見方を私流に選り抜いたものである。



 《仏陀とソクラテ、そしてキリスト》


 (第四回の講演からピックアップ)


「仏陀は彼の弟子たちのまなざしを、仏陀の人格が持っている力と権威によって、地上

の存在の上に向けさせた。

 仏陀の無限にあふれ出る憐憫の情にとって、弟子たちの魂を、それに付随する一切のものと共に、地上的なものから天上的なものへと高める方法を、言い換えるならば、人間の思索および人間の哲学を地上的なものから天上的なものへと高めていくための手段を、弟子たちにあたえようと試みた。」

「これから考察しようと思う人物が、仏陀の出現よりほぼ百年の後に位置しているけれども、人類発展上においては、彼を仏陀と同時代人だと見なしてよい。」


「ソクラテスと仏陀とはある意味で東西における並行的現象であるということが出来る」

「仏陀が、菩提樹の根元で開いた悟りによって得たものを告知したのと反対に、また彼が霊的世界から受け取ったもの